忍者とは

「わたしが忍者だ」と名乗る忍者はいない。故に、その実像や歴史には謎の部分が多いのだが、今日まで語り継がれるような戦を紐解けば、そこには必ずと言っていいほど忍者の存在、そして活躍があった。名勝負として語り継がれるものの多くは、無勢の勢力が見事に大軍を撃破してものだ。忍者の存在意義は、まさに少ない兵力で敵の虚を突き、味方の損害を最小限に抑えながら勝利を収める戦い方にあるのである。

忍者を重要な兵力として駆使することに長けた武将のひとりに真田昌幸が挙げられるが、1585年の「第一次上田合戦」では、わずか2,000の兵力で8,000近い徳川軍を撃退している。また、敵の虚を突く奇襲攻撃を立案し、成功させるためにも、綿密な情報収集が欠かせない。源義経は1184年の「一ノ谷の戦い」で70騎の兵を率いて鵯越の急峻な崖を駆け下り、平氏の本陣を急襲したが、この作戦を成功させるためにも、忍者の活躍は欠かせなかった。じつは、源義経こそが、忍者を駆使した武将として文献に残る最古の存在である。

江戸時代になると、武士道精神が哲学として体系を整えていく一方、忍者の存在は次第に影を薄くしていったようにも見える。忍者は、武士の影のような存在だ。しかし、江戸の泰平もまた、忍者によって支えられていたと言っていい。巧妙に情報戦(インテリジェンス)を操り、戦わずして勝つことも忍者の働き。江戸幕府もまた、公儀御庭番などの忍者を重用していたことは広く知られている。

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